2015年9月18日金曜日

差汎化とは何か?

差別化を原点に、差異化、差延化、差元化と解説してきましたので、次は「差汎化」を取り上げます。

差汎化」戦略とは、
社会⇔個人軸の社会界、つまり社会、価値、同調などを求める世欲に応えて、社会的なネウチや共同体的な需要を創りだす手法です。

これとは対照的な戦略が、すでに述べた「差延化」であり、社会⇔個人軸の個人界、つまり個人、私効、愛着などを求める私欲に応えて、私的なネウチや純個人的な需要を創りだす手法でした。

経済学では、一般にモノの有用性を「価値」と「効用」にわけて考えています(詳しくは後述します)。

価値」とは、一定の社会集団の憤用や同意によって、一つのモノの「有用性」がさまざまなモノとの比較の中で評価される尺度です。

効用」とは、一定の社会集団の憤用や同意によって、一つのモノの「有用性」がそのモノの特性として認められた状態です。

生活学マーケティングを考える場合には、この「効用」をさらに3つの次元に分けて考えるべきだ、と筆者は思っています。

共効・・・社会集団が共通して認める有用性=共通効用
個効・・・個人が共効に基づいて認める有用性=個別効用
私効・・・私人が純私的に認める有用性=私的効用

の3つです。

以上の視点を前提にすると、市場社会で行われている、さまざまな需給行為には、次のような矛盾が指摘できます。

供給者である企業は、市場の存在を前提にして、商品の有用性を作り出し、かつ供給しています。この有用性とは、市場を支える多くの需要者が共通して求める「個効」を集約したものですから、まさに「共効」です。つまり、商品のネウチとは、多くの需要者が共通して商品に求める有用性、いわば有用性の“最大共通素”とでもいうべきものです。
通常、需要者である個人は、それらの「共効」に従って商品を購入し、そのとおりに使用して「個効」を実現しています。

しかし、個性や独創を重んじる生活者の場合は、純私的、主観的な「私効」を目的にしますから、既存の商品を購入した場合でも、それに手を加えたり、別の有用性に変換するなど、自分なりの手法で使用して「私効」を満足させています。この場合、一つの商品の有用性は、市場での最大共通素を前提にしながらも、その中から個人的、主観的に選ばれる有用性、いわば“最小共通素”となります。

となると、一つの商品の持つ「共効」と「私効」の間には微妙なズレが出てきます。

企業の側では、できるだけ多くの顧客の求めに共通する「個効」を抽出して、商品の「共効」を作り出そうとします。これに対し、個性的な生活者の側ではできるだけ自分だけの有用性を求めて、商品の「私効」を購入しようとします。

両者は当然重なっていますが、本質的にいえば、最大共通素と最小共通素がぴったり一致するのはごく稀なことです。そこで、企業は少数需要者の「私効」の一部を切り捨てることで大量生産を可能にし、また生活者は自分なりの「私効」をある程度犠牲にすることでその生活行動を実現していきます。

この落差を埋めることが差汎化戦略の最大の目的です。具体的には次のような方向が求められます。

第1に、生活者自身が試みる用途転用や用途変換に常に注意を払って、既存商品のネウチを再点検することが必要です。

第2に、社会変化や生活変動に対応して、既存商品のネウチを一旦解体し、そのうえで変化に見合うように再構築していくことが必要です。

第3には
より積極的に、今後の日本が向う人口減少社会の望ましいと思う方向を、商品やサービスの新たなネウチとして提案していくことです。

このような意味で、差汎化戦略が展開されていけば、これからのマーケティング戦略の中で、その比重は徐々に増していくことになるでしょう。

2015年9月11日金曜日

物語と神話・・・どこが違うのか?

視覚手段でデザインとアートが対比されたように、聴覚手段では物語(Story)神話(Mythology)が対比されてきます。

物語とは、一人の人間が言語を駆使して結びつけた意味の流れ(パロール1)を、他人に向かって語りかけた(パロール2)うえ、集団的な虚構物として認めさせる(ラング)文章群で、読物、小説、散文、講談、台本などの形をとることもあります。

一方、神話とは、民族や種族などの人間集団の心の底に潜んでいる、集団無意識的な世界像を、さまざまな象徴(C.G.ユングのいう元型:archetype)に仮託させて紡ぎ出した文章群で、昔噺、民話、お伽話、伝説などの形をとることもあります。

要約すれば、

物語とは、あくまでも言語界という、意識的、目的的、共通コードを前提にしたコミュニケーション活動であり、
神話とは感覚界において、無意識的、未目標的、共通体感的に行うコミュニケーション活動ということになるでしょう。

マーケティングに応用すると、物語は差異化戦略で、また神話は差元化戦略で、それぞれ活用できます。

物語は、差異化戦略の一つ、いわゆるストーリー戦略になります。「曰く因縁由緒来歴」などの意味を一連の記号の流れに変えて、商品やサービスの上に乗せることにより、広告効果や販売拡大をねらうことができます。

神話は、差元化戦略の有力な手法の一つ、ミソロジー戦略になります。商品やサービスの上にさまざまな元型を組み入れた象徴の流れ加えることにより、生活者や消費者の感覚や無意識に訴求して、広告効果や販売拡大をねらうことができます。

実例をあげれば、次のような事例があげられます。




Softbankの「白戸家」CM・・・「お父さん犬」を中心にした家族の動静を描く、典型的なストーリー戦略です。西部劇、宇宙編、悪代官など、劇的なシナリオ(scenario)によって、構築的に作られたイメージを視聴者に訴求しています。




auの「あたらしい英雄」CM・・・、日本の昔話を代表する3太郎(桃太郎、金太郎、浦島太郎)が友達となって、さまざまなシーンを動き回るCMです。日本人にとって、3太郎は童子や道化など、いわゆる「元型」であり、私たちの心の奥に浸透して、郷愁や安堵感など与えますから、このCMはミソロジー戦略の一例ともいえます。
もっとも、現在までのところ、このCMのシナリオは日常的・意識的な次元に留まっていますから、ミソロジーを借用したストーリー戦略ともいえるでしょう。


Disneyのキャラクター戦略・・・Disneyの動画はもとよりDisney land、Disney sea、Disney Resortなどにおける、さまざまなキャラクター(Mickey Mouse、Donald Duck、Pluto、Peter Pan、Cinderella、Snow Whiteなど)は、基本的に童子、童女、道化などの「元型(archetype)」であり、これらによって夢想、幻想、郷愁、追憶、安心、永遠など無意識界へ遊ぶことができます。
その意味で、典型的なミソロジー戦略といえるでしょう。
マーケティング学者の中には、このキャラクター戦略を差異化の典型だと述べている方もいますが、本質を外した、皮相的な見方だと思います。

以上のように、マーケティング戦略の視点を差異化から差元化へ拡大すると、さらに新しい方法論が広がっていきます。

2015年9月5日土曜日

デザインとアート・・・どこが違うのか?

言葉⇔感覚の垂直軸という視点から見ると、デザインアートの違いが明白に見えてきます。

私たちはサインやシンボルを使って、さまざまなコミュニケーション活動を行っています。

記号=サインの次元でいえば、ネーミング(naming)や物語(story)などの言語記号で、あるいはカラー、デザイン、パターンなどのイメージ記号を使って、さまざまな内容=コンテンツを伝達しています。

象徴=シンボルの次元でいえば、オノマトペ(onomatopé:仏、擬声語)や神話(mythology)などの未言語象徴で、あるいはデッサン(dessin:仏)や元型(archetype)などのイメージ象徴を使って、幾つかのコンテンツを伝達しています。

いいかえると、聴覚手段では、ネーミングや物語などの言語記号で言語界内の、またオノマトペや神話などの未言語象徴で感覚界内の、それぞれのコミュニケーションを行っています。

また視覚手段でいえば、カラー、デザイン、パターンドなどのイメージ記号で言語界内の、またデッサンや元型などのイメージ象徴で感覚界内の、それぞれのコミュニケーションを達成しています。





このように考えると、同じ視角交信手段ではあるものの、デザインとアートの違いが浮き上がってきます。

デザイン(design)とは「de-sign(サインを書き出す)」ことですから、イメージ記号によって言語界の中でのコミュニケーションを促すことを意味します。

他方、アート(visual art)とは「ars(技術・人工:ラテン語)」を語源としており、より広く環境を人為的に再現することを意味していますが、その再現を根源的にみれば、イメージ象徴によって感覚界でのコミュニケーションを行うこと、そのものです。

とすれば、デザインとは、あくまでも言語界という、意識的、目的的、共通コードを前提にしたコミュニケーション活動であり、アートとは感覚界に向けて、無意識的、未目標的、共通体感的に行うコミュニケーション活動ということになるでしょう。

マーケティング戦略でいえば、デザインは差異化の、また
アートは差元化の、それぞれの一要素なのです。