2016年2月11日木曜日

差異化手法を批判する!

差異化手法のうち、社会記号の拡大が進むにつれて、さまざまな批判が増加してきました。とりわけ、広告・宣伝によって流行や権威などを過度に売り込む差異化マーケティングについては、厳しい批判が提起されています。

フランスの哲学者、B・スティグレールは「マーケティングは、家族構造や文化構造といった象徴制度をなしくずしに破壊してきた」と告発しています(雑誌『世界』2010年3月号)。スティグレールはポスト構造主義の哲学者、J・デリダの後継者として、現代フランスを代表する思想家ですが、この発言の背景には次のような視点があります。


「1940年代、誰も必要としていない財の過剰生産を解消するため、アメリカ産業はマーケティングのさまざまな手法(これらは1930年代にフロイトの甥であるエドワード・バーネイによって考案された)を用いた。

この動きは20世紀中強化の一途をたどり、投資の余剰価値は、より広大な大衆の市場(マス市場)を必要とする規模の経済を生み出した。その大衆の市場を獲得するために産業は、特にオーディオビジュアルなメディアを利用して感性に訴える作戦を展開し、産業発展による利益が上がるよう個人の感覚の次元を再機能化して、消費という行動を取り入れさせようとするのである。

その結果、リビドーや情動の窮乏でもある象徴の貧困が生じ、それによって私が本源的なナルシシズムと呼ぶものが衰退することになる。つまり個々が得意な物やその特異性に感覚的に愛着を持つということができなくなってしまうのである。」(『象徴の貧困1 ハイパーインダストリアル時代』28~29ページ)

スティグレールはさらに続けます。現代市場社会では「大量生産の製品をさばくという組織化」、いいかえれば、「近代化と呼ばれる革新によって次々に生じる新しいものを消費者に取り入れさせるという組織化」が行なわれており、消費者の「情動」や「それが住まう身体」を巧みにコントロールしています。

この社会で支配力を持っているのは、もはや起業家や生産者ではなく、日常生活を機械化することで、意識と身体をコントロールするマーケティングです。

とりわけテレビ、携帯電話、電子手帳、コンピューター、ホームシアターなどは、ハイパーインダストリアル時代の人工的、擬似的環境を構成し、「感覚・技術・社会的組織が互いに影響し合った器官学的地平」を作っています

こうした環境は「象徴の貧困」を引き起こしています。

「象徴」というのは「知的な生の成果(概念、思想、定理、知識)と感覚的な生の成果(芸術、熟練、風俗)の双方」を意味していますが、それが「貧困」になるというのは、「象徴の生産に参加できなく」なって「個体性」が衰退していく、ということです(前掲書)。

その結果、1970年代以降の消費社会の生活では、個体性の衰退が強まり、象徴的なものの瓦解、すなわち欲望の瓦解が起こりました。消費者の多くは「欲求不満」の消費主義にとりつかれて、ひたすら「中毒的消費」や「消費依存症」に向かっています(前掲誌)。

スティグレールの主張を要約すると、企業の展開するマーケティング活動が、さまざまなメディアを通じて消費者の感覚を麻痺させ、一人ひとりが元々持っていた、個人的な欲望や欲求を消滅させている、ということになるでしょう。


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