2016年5月16日月曜日

白戸家はなぜ三太郎に敗れたのか?②:無意識を喚起した!

第2は無意識支援の視点。三太郎シリーズはCMの中に視聴者の無意識を刺激する、極めて優れた仕掛入れることで、好感度を大きく上げています。

白戸家シリーズでも、2011年6月に白戸家にそっくりな家族が登場する「偽戸家」が登場し、視聴者の注目を集めたことがありました。お父さん犬の父を囲んでいる祖母、母、兄、妹のそれぞれが、全く別の家族に変わっていたというものです。


従来のキャラクターが突然変わったので、それなりに話題となりましたが、あくまでもストーリーの変型として造られていました。このためか、少し慣れてくると、単なるパロデイにすぎない飽きられてしましました。

これに対し、三太郎シリーズでは、2016年4月1日、桃太郎、金太郎、浦島太郎の三太郎が、全く別の3俳優に変わってしまうという一編を流し、これに気づいた視聴者をアッと驚かせました。エイプリルフール限定で流されたものですが、スタンドイン(撮影前の代理役)の3人がそのまま出演した、ニセモノの「三太郎」です。


このCMは、まったく広報しないで、視聴者自身の感覚と認知に任せるという無意識喚起性と、ストーリーとは無縁の偶然性という、2つの手法によって、単純なストーリー戦略を抜け出しています、

それだけではありません。三太郎シリーズには、より高度な無意識喚起性が仕組まれています。

2015年7月の「かぐや姫の帰省」篇以降、最近までの30編近い作品に、これまたお伽噺の代表的キャラクター「一寸法師」がひっそりと挿入されているのです。通常の視聴ではまずは見つからないような、小さな姿が、まったく意外な場所に潜んでいます。



見ているのに気づかない。何か気にかかる。気づけは嬉しくなる。知ったら知人に教えたくなる・・・などの諸点で、まことに見事な仕組みといえるでしょう。

以上のような無意識支援性によって、三太郎は白戸家を圧倒しています。

まとめてみると、①視聴者自身の感覚と認知を喚起する無意識支援性、②視聴者に次の期待を抱かせる探索誘導性参加性、③発見を広めたいという波及性、④ストーリーとは無縁の偶然性、といった点で、表層的なストーリー戦略を抜け出し、深層的なミソロジー戦略に到達しているといえるでしょう。

 電子出版『人口減少“激活”ビジネス』発売中!

0 件のコメント:

コメントを投稿