2018年1月21日日曜日

虚構享楽行動への対応方向とは・・・

生活民の差戯化行動とは、個々の言葉の意味とその対象の関係を積極的にずらしていこうとする虚欲に基づいて、言葉の示す目標を意識的に緩め、自らの行動をあえて弛緩させ、遊びや解放を味わおうとするものです。

この行動には、言葉の持つ規範性を外そうとする行動(言語―感覚軸)と、言葉の虚構性に戯れようとする行動(個人―社会軸)の、2つに大別されます。

虚構性に積極的に戯れようとする行動には、個人次元でいえば息抜きのための遊戯や遊興など、社会次元でいえば大衆的なスポーツやエンターテインメントなどがそれぞれ該当します。




2つの行動分野に対しては、供給側からはこれまで、次のようなマーケティング活動が行われてきました。

①息抜きのための遊戯や遊興に対する戯化・模擬戦略・・・


仮面遊びや着せ替え遊びなどの虚構ルールへ私的に戯れようとする「私戯」戦略を基盤として、娯楽やレジャーなど日常的な虚構を実行しようとする「戯化」戦略や、映画、演劇、音楽、美術など私的な虚構空間を集合的に提供しようとする「模擬」戦略が実施されています。

生活民がこれらの行動を求めるのは、言葉が作り出す、ウソとマコトの二重性を積極的に味わうため、ウソ機能に没頭することで、マコト機能をリフレッシュしていこうとする
虚欲に基づいています。

とすれば、関連する商品やサービスには、単純な虚構提供を超えて、言葉の虚構性を再認識させつつ、真実の曖昧性を再認識させていくような、より大胆なリフレッシュ機能が求められるでしょう。


②大衆的なスポーツやエンターテインメントに対するゲーム・競争戦略・・・


ギャンブルやくじなどの虚構ルールへ私的に挑戦しようという「賭け」戦略を基盤として、囲碁や麻雀などの虚構ルールへ日常的に戯れる「ゲーム」戦略や、競技や競演など虚構ルールへ集団的に戯れようとする「競争」戦略が実施されています。

生活民がこれらの行動を求めるのは、建前としてのマコトが圧倒的に支配している社会空間を見直し、ウソとマコトの二重性を再確認して、社会構造の曖昧性を実感したいという
虚欲のためです。

こうした願望に関連商品・サービスがこれに応えていくには、実体的な生活行動や経済活動の次元を超えて、虚構的な生活行動や経済活動もまた成り立つものであることを、賭け・ゲーム・競争などのシミュレーション体験の中で再認識させるような仕組みが求められるでしょう。

以上のように、生活民の虚構享楽行動に対しては、遊び体験を通じて、言葉の持つウソ・マコトの曖昧性を改めて認識させるような対応が必要になるでしょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿